蕎麦を茹でる
2019.12.28
 麺類を好物にしているので、家で麺を食べる際は必ず自分で茹でるようにしている。冷麺の時は茹でた後の水洗いも欠かさず、ぬめりを取り除く作業にもこだわりがある。
 先日、蕎麦屋さんでの忘年会があった。お土産に手打ちの生蕎麦をいただいたので、早速いただこうと箱をあけたら「おいしい蕎麦の茹で方」という注意書きのようなものが入っていた。読んでみたが、今まで全く知らなかった内容が記されていた。
 大き目の鍋を使うことは当然なのだが、麺を入れたら箸で掻きまわすことはせず、麺が浮いてきたら2~3回、十字を切るようにやさしく掻きまわす。そして、火を止める。1分経ったら麺を水にさらして優しく洗う。
 とりあえず、説明書きの通り茹でてみた。蕎麦屋さんのような食感があり、新たな茹で方に出会えた感動もあった。火を止め余熱で茹でる。年越しそばも、この茹で方にふさわしい蕎麦を探したい。
年賀状
2019.12.21
 毎年、この時期になると年賀状を作成する。パソコンで印刷するようになってから、作業は随分と楽になった。多い時は400枚位の年賀状を発送していたが、今は半数ぐらいになっている。
 最近は、いわゆる「年賀状じまい」や「喪中」の連絡が多くなった。自分の年齢を考えれば当然のことだが、何となく寂しさが付きまとう。 若い人たちの中には、年賀状ではなくメールなどで済ませる人もいると聞く。その方が手っ取り早いだろうし、経費も安く抑えられる。
 私は、年に一度のご挨拶というような感覚で年賀状を送っている。年賀状だけの付き合いになった友人・知人も多いが、今どうしているのかなと思いを巡らせることができる。当分は、この時期にお世話になった方々や知人に、近況を兼ねたご挨拶状を送ろうと思っている。
劇物譲受書・・・排水管の詰り
2019.12.16
 2階に高齢の義母が住んでいるのだが、認知機能の衰えが顕著になっている。何度も同じことを告げるのだが、情報はインプットされず全くのマイペースで生活している。言っても分からないからと、私たち夫婦は半ばあきらめの心境でもある。
 先日、2階の浴室でシャワーを使っていたようだが、階下におびただしい漏水があった。排水管が詰り、傷んでいるパッキンの隙間からでも水が漏れているのだろう。原因は洗髪の際に、抜けた髪の毛をそのまま流していることに尽きる。 
 浴室の排水口の形が特殊で、物理的につまりを取り除くことができない。業者に依頼する前に調べてみると、プロが使う強力な排水管洗浄剤があった。購入には、劇物譲受書に運転免許所のコピーなどを添付して販売店に送付することが条件になっている。
 商品が届いたので開封すると、中にはビニール手袋とマスク、使用方法が記されたペーパーが入っている。注意深く、書かれている通りの方法で溶液を作り、排水口に流して15分待ってからバケツ5杯分の水を流した。何事もなかったように水が排水口に吸い込まれていく。業務用洗浄剤の凄さを見せつけられた。
大浮世絵展
2019.12.07
 特別展「大浮世絵展―歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演」と銘打った展覧会を見ようと、東京大江戸博物館に出向いた。最寄駅から乗り換えなしで、博物館のある両国まで行くことができるのがうれしい。加えて、特別展の観覧料も65歳以上は半額になるので、お得感もある。
 展示内容は充実しており、5人の浮世絵師が作り出している作品の素晴らしさを堪能できた。それぞれの作家や作品の意図することも説明があり、素人にも分かりやすい展示となっていた。しかしながら、歌麿や広重の作品の多くは、海外の博物館などが所有しているものだった。日本から流出した経緯は良く分からないが、何か寂しい気分にもなった。
 江戸時代の版画技術の高さに驚嘆した時間を過ごしたが、常設の展示も懐かしさを覚えるものが多かった。東京大江戸博物館に行ったのは2度目だったが、機会を見て訪れてみようと思う。
節操のない横綱
2019.12.04
 新聞の読者の投書欄に「品格ない相撲に幻滅」という見出しで、老人ホームで働く方の記事が載っていた。内容は、高齢者が楽しみにしていた夕食前の相撲中継を見る方が減っている、とのことだ。原因は白鵬の取り口に多い、張り手やかちあげに幻滅しているからと断言している。
 昔の名横綱といわれた力士の姿には、勝っても負けても凛とした美しさが備わっていた。そのような姿を楽しみにしている高齢者が、国技といわれる相撲に幻滅し無言で離れていく。
 個人的にも現横綱の相撲内容をはじめ、軽率で節操のない言動にはうんざりしていた。横綱審議会でも苦言を呈しているようだが、改善は望めないだろう。国民から見離されるような国技は、国技とは言えない。苦言を呈しても分からないような人に対応するためには、張り手やかちあげを禁じ手として反則負けにするようルールを変えればよい。それとも、危機感のない相撲協会に対して、「相撲を国技としない」キャンペーンでもやってみようか。

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