暇な爺 旅の記録

■ 平成15年夏 神戸から四国へ

平成3年夏に、キャンプをしながら四国を訪れたことがある。初めて瀬戸大橋を渡り、少なからず興奮した。そのころは、四国に高速道路がなく、ノロノロと一般道を走ったことを覚えている。まだ子供も小さく、ビデオの記録は残っているのだが写真は数少ない。今回は、四国と本州を結ぶ2本の新しい橋を渡ること。インターネット予約で前日にホテルをおさえておいた。
お盆明けの8月17日、夜9時ごろ出発、ガソリンを満タンにして東名高速道路に向かう。あいにくの雨だが順調に走り、名古屋手前の東郷PAで仮眠をとる。私のランクルはキャンピング仕様になっているので、後部座席を倒すとベッドを作れるようになっている。大人二人が楽々と足を伸ばして寝ることができるので何かと重宝している。明朝は名古屋ICで降り、名古屋城の写真を撮る予定。

名古屋〜神戸

名古屋城
6時ころ目を覚まし、洗顔と簡単な食事を済ませ東郷PAを出発。名古屋ドームなどを横目に市内を走り、8時前に名古屋城に到着。しかし、開園時間までには2時間もあり、中に入ることを断念する。お城の周囲を走りながら、撮影ポイントを見つけて写真を撮った。デジタルビデオの高倍率の性能を実感した。
春日井ICから東名高速道路に入り大阪を目指す。

大阪城
12時ころ大阪城に着く。駐車場から大手門に向かいながら、金魚鉢のようなNHKビルが目に入ってきた。大手門から桜門を抜けると城内で最も大きな蛸石が見られる。旧大阪市立博物館が右手に、正面には天守閣がそびえ立っている。大阪城は以前に訪れた記憶があり、エレベーターが設置されていたことを思い出した。中に入ると、何とエアコンがばっちり効いている。エレベーターで6階まで行き、最上階の8階までは階段を上る。眼下の眺めは良く、大阪城ホールが真下に見えた。

四天王寺
大阪の街並みを十分堪能し、たこ焼きを食べながら通天閣の写真を撮りに行こうということになった。
通天閣の写真を撮り終えたら、家内が天王寺公園に隣接した所で生まれ育ったことを話し出した。半世紀前の記憶をたどりながら、天王寺公園の周辺を回ってみたが、開発が進み「その付近らしい所」はビルが建っていた。
天王寺公園を回っているときに、四天王寺の参道が眼に入ってきた。せっかくだからと、予定外の見学を始めた。今日は神戸泊なので、時間は十分にある。「四天王寺」は思った以上に大きな寺で、大阪のお盆のようすを垣間見ることができた。

神戸 メリケン・パーク
5時前に神戸のホテルに到着。荷物を降ろし、地下鉄でメリケンパーク旧外国人居留地の散策に出かけた。神戸ポートタワーが見えてくると、そこがメリケンパーク。メリケンパークから旧外国人居留地を歩いた。居留地跡には当時の建物が点在しているのだが、雨模様のため足早に切り上げた。
ホテルに戻りシャワーを浴びてから食事に出かけた。しかし、気の利いた店がない。新神戸の駅前でもこれだ。やっと見つけた店で飲んでいたら、妻の食事と私のつまみがでたところで「請求書」が置かれた。これ以上、注文するなということだと理解し、早々にその店を出た。
コンビニでつまみと缶酎ハイを仕入れ、ホテルで飲んだ。コンビニの煮物とサラダが、異様に美味かった。

神戸〜道後温泉

北野・異人館街
ホテルの裏手に北野通りがあり、徒歩で異人館街に向かった。坂を登りながら神戸港を見ることができた。風見鶏の館萌黄の館など、異国情緒あふれる異人館街を2時間ほど散策した。

明石海峡大橋
目的の「明石海峡大橋」に向かう、阪神高速道路で1時間も走ると淡路島に入ることができる。念願の明石海峡大橋を渡り、淡路SAから橋を見ることができた。全長4Km程度の橋だが、その大きさには圧倒されるものがあった。主柱の高さは東京タワー以上だとか。眼下の瀬戸内海を行き来する船も見える。

大鳴門橋
淡路島を神戸淡路鳴門自動車道でしばらく走っていると大鳴門橋が見えてきた。橋を渡り最初のICで降り、鳴門公園に向かった。大鳴門橋を間近で見ることができ、橋の自動車道の下に渦の道という遊歩道があった。
2時間ほど待てば渦潮が見られそうだったが、次の目的地を「金毘羅宮」に決め出発した。当初は高知から松山と考えていたのだが、今回は高知は見送ることにした。松山自動車道から分岐した徳島自動車道を走り2時ごろ金毘羅宮に着いた。

金毘羅宮
中野うどん学校の看板が目に付く。讃岐うどんで遅い昼食をすませ、785段の階段登りにスタートした。階段のあちらこちらに段数の表示があるのだが、100段位したところで膝にきてしまった。運動不足と体重過を反省するのだが遅い。途中、駕篭で降りてくる人たちと会う。その場所にふさわしい商売があるものだと感心してしまった。大門、旭社などを経てやっとの思いで785段を登り本宮に着いた。
暑さと足の重さで、しばし休憩。遠くに瀬戸内海を見ながら、ふと見ると奥社と書かれた看板と矢印が目に入った。こういう所で気張らなくても良いのだが、せっかくだから一番上まで行ってみようと歩き始めた。
しばらく歩いているうちに後悔。階段が多い、足が重い。階段を斜めに上がると少し楽になった。1.368段を踏破しようやく奥社(写真)に着いた。
左手の岩肌には天狗の面があり、この山全体が修験者の道場になっていたことが想像される。奥社でしばらく休憩後下山。途中、本宮に寄り絵馬堂などを見たが、ここに堀江青年が太平洋を横断したヨットマーメイド号が奉納されていた。約3時間の金毘羅宮散策の後、今日の宿泊地「松山」に向かった。

道後温泉
ホテルに着いてから、さっそく道後温泉に出かけた。路面電車で松山市の中心から15分位で着く。道後温泉は2回目だったので懐かしさを感じた。前回は車で道後温泉に泊まったので、見学地が限られていたのだが、今回はのんびりすることができた。
道後温泉本館では2階の座敷でお茶をいただいたり、坊ちゃんの間や皇族用に作られた又新殿を見学することができた。駅前のからくり時計に笑いながら、市内に戻り食事をした。よさそうな店だったが、ご飯がなくなってしまったので「鯛めし」ができないという。どうも、夕食はついてない。帰りに酒屋で焼酎を買い込みホテルに戻った。ここでも東京の常識は通用しない。

松山市〜倉敷市

子規堂
ホテルに車を置いたまま、正岡子規の生家子規堂に向かった。路面電車で行くはずだったのが、妻が歩いていける距離だということから歩き始めた。しばらくすると、足に痛みが走った。以後、足の痛みに悩む。途中、伊予鉄道の第1号の坊ちゃん列車の車両をみることができた。子規堂の庭には、当時の客車が保存されていた。

松山城
昨夜撮った道後温泉の写真が不安だったので、撮りなおしのため再度道後温泉に向かった。坊ちゃん列車が走っているのを見ながら市内に戻り、松山城に向かった。松山城にはロープーウェイで途中まで行く。そして、階段。天守閣へは当然階段を上る。松山市内が展望でき、しばらく佇んでいた。
松山城を後に今治に向かう。水城として有名な今治城を訪れたが、私の足は限界。外から城を見学させてもらった。

しまなみ海道
いよいよ次の目的しまなみ海道で四国から広島県の尾道を経て倉敷に向かう。島々に架かっている橋が雄大で、周囲の景色も美しい。まだ、全線が開通している訳ではなく、島内は一般道を走り、橋の部分が高速道路になっている。尾道までは4箇所の料金所を通過することになった。倉敷には4時ごろ着いた。

倉敷・美観地区
チェックインを済ませ、美観地区に出かけた。ここも2度目だが、ずいぶん整備されたような感じをうけた。大原美術館が5時までだったので、妻が美術館に、私は写真撮影と別行動をした。倉敷川にかかる柳の緑が美しかった。国の重要文化財に指定されている建物も多くあり、少し離れた所の文化財なども見学した。
ホテルに戻り歩いて倉敷駅前に食事に出かけた。食事の前にデパートに入り、筋肉痛用のスプレーを購入し、人目につかない所で早々に使用した。食事は倉敷駅前の「白壁」という店に入った。やっと探し物に出会ったようで、くつろいだ酒が飲めた。ようやく満足。

後楽園・岡山城

岡山・後楽園
この日は東京に帰るだけなので、途中どこに立ち寄ろうか考えた結果、岡山の「後楽園」と「岡山城」を目指した。夏の陽射しの中、広い後楽園をゆっくり歩いた。芝や木々の緑が美しく、池の水と空の色に映えていた。正門右手にある「鶴鳴館」「延養亭」から散策路を進む。「花葉の池」を周り、途中で後楽園の南門を出て岡山城に向かう。

岡山城
岡山城は比較的新しく作られたもので、エレベーターと空調が整備されていた。疲れた足にはありがたい。天守閣からは、後楽園や岡山市内を見渡すことができる。岡山城を出て、再び後楽園の散策に戻った。広い園内ではあるが、いろんな工夫が凝らされており飽きることなく回ることができた。園内中央にある沢の池に浮かぶ3つの島が美しい。
後楽園は、金沢の兼六園、水戸の偕楽園と並ぶ日本三名園の一つ。ちなみに、今回は3大「がっかり観光地」の一つ、播磨矢橋に行くことはできなかった。約3時間の後楽園散策を終え、カーナビゲーションを「自宅に戻る」にセットした。