暇な爺 旅の記録

■ 平成18年夏 山陰への旅

まだ子供が小さかったころ、琵琶湖から敦賀に向かい日本海側を出雲大社まで走ったことがある。三方五湖・鳥取砂丘・宍道湖・日御崎灯台などが思い出されるが、キャンプができない時は宿探しに苦労したことを懐かしく、若気の至りであったと自省もしている。
その当時に流行り始めていたビデオは、カメラとビデオデッキが別で相当大きく重かった。陽ざしの強い鳥取砂丘をカメラをかつぎながら、子供の姿を撮ったものだ。そんなことから写真が極めて少ない。今回は思うところもあり、妻と二人で山口から敦賀まで逆コースを走ってみた。

8月9日 山口市・瑠璃光寺

新規採用教員の宿泊研修から帰り、その夜に出発した。当面は山口に向かうが、眠くなったらどこかのSAで休めばいいと、いつもながらの気ままな旅が始まった。次の日からは宿の予約はしてある。とりあえず山口まで行けばいい。
京都を過ぎて仮眠、4時ごろ目を覚まし山陽道を目指すのだが眠気が襲う。やむなく広島手前で再度の仮眠。やはり年齢かなと一抹の寂しさがあるのだが睡魔には抵抗できない。目を覚まし宮島SAに入ると、そこは瀬戸内海をはさんで厳島神社が正面にあるビューポイント。ビデオを回した後、ひたすら山口に向かう。

山口までは順調で予想以上に速い。瑠璃光寺を見ようと小郡ICまで足を伸ばした。瑠璃光寺は私が相模原市の教員をしていたころ行ったことがあるが記憶は定かではない。写真に残されている五重の塔に再会し、当時を思い出した。それにしても周囲が整備されすぎている。
今日の走行距離は1000KMを超えた。小郡駅前(新山口駅)のホテルで一泊。

8月10日  山口〜秋吉台〜青海島〜萩〜益田市

山口〜秋吉台
山口市を訪れるのは2度目だが、記憶が極めて曖昧であるため、過去に行ったことがあろうと思われる東光寺などに出向き記憶を確認する。ザビエル記念聖堂雪舟庭園で知られる常栄寺などに行ってみた。時間があればゆっくりしたい所だが「五重の塔以外は全て変わりました」という地元の方の声も頷けるような気もする。

秋吉台を散策したが余りの暑さに早々に切り上げ、次の目的地の長門市に向かう。車が少なく、カーナビの予定到着時刻を相当上回る快適なドライビングができる。長門市の仙崎は「鈴木みすず一色」という感じがした。

青海島
雑誌に掲載されている店で昼食をとった後、観光船で青海島を一周することにした。青海島は日本海の厳しい気候のためか、岩肌も厳しいが、それだけに見慣れない景色が多い。写真とビデオで忙しく交互に撮影、二つともバッテリーがダウンしてしまった。

下船する際、鯨を模した観光船が潮吹を演じるサービスに笑ってしまった。船のデッキで強い陽射しを浴びていたため、頭皮や腕が焼けるように熱い。水で頭と腕を冷やしながら、カメラとビデオのバッテリーチャージをセットして萩へ向かう。キャンピング仕様のランクルは100Vの電源供給が可能なためバッテリーチャージは気楽にできる。

萩に着いたが、ここも記憶の回復に他ならない。とりあえず何もない萩城跡を確認し松下村塾に向かう。松下村塾松蔭神社など個々の記憶はかなり鮮明にあるのだが、位置関係は極めていい加減で、あらためて「なるほど」などとつぶやきながら歩いた。松陰神社から、あまり遠くない所に伊藤博文の生家があり、足を伸ばした。

城下町は整備されてきているが、ここでもあまり整備されてしまったことの負の部分を感じてしまった。文化財の保存と観光資源としての活用という、二つの側面からの判断になると思われるのだが・・・・。
この夜は田市に宿泊。作られて間もない新しいホテルであったが、駅前周辺も開発途上で飲み屋を探すのには一苦労した。

8月11日 石見銀山〜出雲

石見銀山
益田市内の寺社等を廻り、日本海に面している国道9号線を太田市に向かう。途中、鳴き砂で有名な琴が浜海岸に立ち寄り、目的地の石見銀山に到着。石見銀山は戦国時代から近代まで稼業した大田市にある鉱山で、鉱山技術の先駆的な役割を果たしたといわれている。島根県では世界遺産への登録を考えているようだ。
公営の駐車場から鉱山発掘跡の坑道入り口までは道幅が狭く、私の車では少々きつい場所もある。混雑期は交通規制がかけられるようだが、当然だろうと納得もできる。

近くにある五百羅漢は、道路に面した岩肌を利用した屈にあり、一種独特な趣がある。一見の価値はあると思われる。

出雲
再び国道9号線に戻り、まっすぐ出雲大社を目指す。20年前に来たときは雨で、見学もそぞろだった。それも、雨合羽を着ている子どもの写真で覚えている程度である。今回は晴天、大鳥居の所で携帯に着信があり、人事担当係長から教員の服務事故の報告があった。ここまで来て・・・・。気を取り直し、鳥居をくぐり出雲大社の本殿を目指す。境内の様子を写真に撮りながら奥社を一巡した。

日御崎灯台
デジカメの便利さもいいが、大切な写真は必ず35mmのフィルムで撮るようにしている。今回は愛用のコンタックスを持参したが、このカメラは大きくて重い。広い境内で肩にかけて歩くのは正直つらいものがある。

その後、出雲大社から日御岬を目指す。途中、深紅の日御崎神社に参拝し白亜の日御崎灯台に到着。灯台に登った記憶だけが甦ってきた。海岸沿いの遊歩道を歩いていると、海からの風に心地よさを覚えた。

市内の旧JR大社駅を見学し、今日の目的地(松江市)に向かう途中、白くそびえる出雲ドームに立ち寄る。木製のドームだと記憶しているのだが?

松江
今日の宿泊地は松江市。早い時間にホテルに入れたので徒歩で松江城に向かった。お堀を行き交う船を見ながら松江神社や郷土資料館に立ち寄り、松江城の天守閣に上る。以前、家族と来たときには時間が遅く天守閣に入れなかった。天守閣を吹き抜ける風が実に爽やかであった。

その後、城内から武家屋敷小泉八雲の旧家などお堀に沿って塩見縄手をゆったりと過ごした。県庁前から松江城の外堀に面した道は趣があり立ち寄りたい店が数件あった。
この夜はホテルでゆっくりくつろいだ。


8月13日 松江〜鳥取砂丘

松江市内
ホテルを出て宍道湖に向かう。以前来たときは神秘的な灯篭流しを見ることができたが、夜であったため宍道湖らしい写真が撮れなかった。ホームページ用にデジカメで数ショット。続いて松平家の菩提寺である月照寺に向かう。初代から9代までの藩主ごとに廟所があり、資料館では松平家と皇室の関わりが詳しく説明されていた。

茶室で有名な明々庵でくつろいだ後、出雲四神の一つである熊野大社に向かう。さほど大きな神社ではないが、落ち着いた雰囲気の漂う品格を感じさせる神社である。

国道9号線を安来市に向かいながら、揖屋神社に立ち寄り、目的の清水寺を訪れた。清水寺(せいすいじ)は、山陰地方唯一の三重の塔を有した寺で天台宗の古刹。境内には県や国の重要文化財も数多く、荘厳な空気に包まれている。春には約1000本のソメイヨシノが咲き乱れる桜の名所のようだ。

鳥取県・白兎神社
清水寺から再び国道9号線を日本海に沿って鳥取砂丘に向かう。9号線沿いにある白兎神社に立ち寄るが、ここでも過去の記憶と大きく異なっていた。この近くの海岸で泳いだこともあるのだが場所は特定できなかった。道路わきの 白兎伝説にまつわるモニュメントが作られていた。

9号線を走っていると時折、風力発電用の巨大な風車群が現れる。日本海からの風が強いのだろう。昼食に立ち寄った店は雑誌をみての選択だったが、安くて旨い「海鮮なんでも丼」が最高だった。

風の丘〜鳥取砂丘
国道9号線沿いの道の駅「ポート赤碕」の隣の高台に風の丘公園がある。日韓友好資料館や記念碑などがあるが、風を受けると約2トンもある石の羽根が動力なしで回る石風車が見もの。

今回の旅の最終見学地である鳥取砂丘に向かうが、どうも空模様が怪しい。案の定、途中で雨が降ってきたが、場所によっては晴れている。砂丘の駐車場から砂丘に入りカメラを構えていると空に稲妻が走る。駱駝を操る人たちが10分以内に雨になり危険だというようなことを話している。急いでシャッターを切り、海の方を眺めていると大粒の雨が落ちてきた。走って車に戻る途中でアウト。ビショビショ状態。砂丘の遠くまで行っていた人たちは大変だろうなと人ごとのように思った。

ここで、今回の行程はほぼ終了。このまま9号線を京都まで走り、夜の「天の橋立」を歩き、さらに北上し福井県「敦賀IC」から北陸自動車道に入った。トンネル内での事故の影響で渋滞であったが、東名高速で仮眠をとり翌日、昼くらいに家に帰った。
走行距離2500Km。今回は、高速道路の使用が夜間であったため、ETC割引で30%も高速料金が安くなった。しかし、ガソリンは高すぎる。