暇な爺 旅の記録

■ 平成27年 北陸地方を走る

H27.6.23、夜10時過ぎに家を出て、中央高速道で岐阜県郡上市に向かう。今回は昨年購入したトヨタのスペイドを使い、越前岬、能登半島の最先端、富山県の高岡市を主な目的地にした3泊4日の旅となる。折からの台風の影響で、天気が気になるところだが何とかもつだろうと車を走らせた。途中、休憩・仮眠をとりながら中央高速の土岐ジャンクションから東海環状自動車道を経て、美濃関ジャンクションで東海北陸自動車道に入る。

郡上八幡城 〜 越前大野城

郡上市
午前9時前に目的地の郡上八幡ICで降り、最初の目的地、郡上八幡城に向かう。八幡山頂にある城だが、狭い急坂を車で登ることができた。この城は廃藩置県の際に取り壊されたが、昭和8年に大垣城を参考に造られたとのことである。さまざまな伝説などがあるようだが、天守閣に吹き込むさわやかな風を味わった。
次に向かったのは郡上八幡博覧館で、郡上市の歴史や郡上踊りなどを知ることができた。見学途中に外国人の団体客が入ってきたので早々に館内を出、市内にある宗祇水という、水を効率的に活用する用水路を探して見学した。郡上おどりと水の町のようだ。

九頭竜湖(写真左)
市内を後に東海北陸道に戻り、白鳥西ICで降り、158号線で九頭竜湖を目指す。車が少ないので順調に距離を伸ばすことができる。九頭竜湖は水面に空の青さや木々の緑が映り込み、稀に見る美しさを見せてくれた。九頭竜ダムで車を止め、ダムに映る風景を堪能した。ここで撮った写真は、後日に大きく伸ばして現像できるものになった。

一乗谷遺跡 〜 永平寺

一乗谷遺跡
福井県に入り、一乗谷朝倉家の遺跡と永平寺を目指す。一乗谷遺跡と永平寺には、平成13年に訪れているが記憶が定かでなく改めて見直すことができた。一乗谷遺跡には朝倉家の墓所が整備されていた。復元された町並を過去の記憶に頼って場所を見失うことになったが、最初に止めた車の駐車場が町並の入り口になっていた。中に入り写真を撮りながら見学をした。当時の服装をした方々が丁寧にあいさつをしてくれた。
永平寺
永平寺の記憶も今一で、順路を回りながら過去の思い出を巡っていた。階段や石の廊下、座禅を組む僧堂、大倉院、経堂などはかなりしっかり記憶していた。山門から仏殿までの配置は改めて見直した。通用門を出て、唐門の写真を撮り寂光苑という道元禅師を祀ってある広場を見学した。稚髪像や道元禅師の像を見ることができた。

今日の見学地はここまでで、宿泊場所の福井駅前のホテルに向かった。ホテルの部屋が狭く、荷物はベッドの下に置くような案内があった。5時過ぎであったので、外に食事に出た。駅前の「福福屋」という居酒屋に入ったが、他の客がいないにも関わらず、注文した刺身が30分待ってもでてこない。オーダー漏れもあり、イライラの極みから店を出た。近くのスーパーなどで買い物をして、ホテルの部屋で酒を飲んだ。

越前岬 〜 吉崎御坊

翌朝、目指すは越前岬。途中、越前町にある剱神社に立ち寄った。この地が織田家ゆかりの場所で、神社も織田信長が氏神と崇め神社を保護したと伝えられている。境内は広くはないが、こじんまりとした雰囲気のある社である。
越前岬
越前岬に着いたが、岬に伴う案内のようなものがなく、越前岬隧道が越前岬を想像させる。近辺の地図には水仙ランドの案内があり、その近くに越前岬灯台が描かれていた。ナビに灯台の案内は出てこないので、看板の地図を頼りに農道のような道を登っていった。かなり傾斜のきつい道だが、灯台の近くに車を止めることができた。さらに上の方に展望台があるようなので、さらに急坂を登っていった。道路わきに車を止め、ちょっとした平坦地に造られた小さな展望台から越前岬に広がる景色を堪能した。
吉崎御坊
福井県と石川県境にあらわ市があり、吉崎御坊跡という国の史跡がある。ここには、本願寺派の別院や真宗大谷派の別院などがあり、願慶寺と吉崎寺には嫁脅しの面伝説があり、肉付きの面が納められている。せっかくだからと願慶寺に入ったが、坊さんの長い話にしびれを切らし、拝観料だけ払って退散することになった。
北潟湖を見渡すことができる史跡跡は広々とした庭で、蓮如像が目をひき、本殿跡などを知ることもできる。

小松 〜 金沢

石川県立航空プラザ
今日の宿泊地は輪島なので移動距離が長い。途中、小松市にある石川県立航空プラザに立ち寄った。もう少し早く気付けば本物のセスナの操縦シュミレーションができたのだが、午前中の受付時間を15分ほど過ぎてしまった。館内にはブルーインパルスが使っていたジェット機などが展示されている。2階には、ライト兄弟に先んじて二宮忠八が作った飛行機のモデルがあり驚いた。吉村昭の小説「虹の翼」に描かれているものである。簡易型の有料シュミレーションでジャンボの操縦をしてみたが、思いのほか自由にならないものであった。
忍者寺
金沢市では忍者寺に行きたいと思っていたが、予約が必要とのことであったので電話で問い合わせ、1時の予約をとることができた。前田家の藩主が城内にあった祈願所を移した寺で、城主の安全確保などの必要から、構造が複雑極まりなく妙立寺(みょうりゅうじ)という名前より、忍者寺というほうが知られている。見学には案内がつき、約1時間かかるが一見の価値ある寺であった。
尾山神社(写真)
金沢城の近くにある「尾山神社」に向かった。近くの店で食事に立ち寄ったが、目当ての冷やし中華がなく、メニューにない「かけうどん」をいただくことになった。この神社の神門は、南蛮風なステンドグラスの堂のようなものが乗っており、国の重要文化財となっている。神社そのものは前田利家公と正室のお松の方を祀る神社で、境内には二人の像が作られている。発掘調査中であった。

金沢を後に輪島に向かう途中、羽咋市にある気多大社に立ち寄った。立派な神門と拝殿は国の重要文化財、隋身門と神庫が県の指定文化財で立派な神社であることがわかる。境内裏手が「入らずの森」として、立ち入りは禁止されているようだ。
夜は輪島市の立派な民宿「満月」で、輪島塗の食器で海の幸をたらふく味わった。

能登半島

輪島の朝市
翌朝は雨が心配な空模様であった。朝市に出かけて若干の土産などを購入した。平日ということもあり、人通りも少なくのんびりと店をのぞくことができた。満月に泊まっていた方ともすれ違い、あいさつを交わすことができた。
千枚田・塩田
海沿いの道を走り、目的地の禄剛崎灯台を目指す。途中の白米千枚田では、過去の記憶と比較しながら下の方まで降りて、景色を確認した。最初に輪島を訪れたのは昭和の時代で、写真などの記録も少なく記憶もあいまい極まりない。 千枚田の次には、NHKの連ドラで有名になった塩田を見たが、塩田以上でも以下でもなく、ただ単に見たという感をぬぐえない。

国史跡 時國家
時國家の木造平屋建の茅葺き入母屋造りは、間口23.4メートル(13間)、奥行き14.4メートル(8間)で南向きに建っている。土間が広く、主屋の間口の約半分を占めている。建てられた年代は定かではないようだが200年ほど前と考えられ、昭和38年、能登最古の民家として国の重要文化財に指定された。奥能登に伝わる民俗文化に触れることができる史跡だ。
珠洲岬
能登半島の先端にあるの駅狼煙に車を止め、最先端にある禄剛崎灯台(写真)を目指して山道を登った。灯台がある場所は整備されモニュメントなどもあるが、天気が今一で、空も海もどんよりと灰色がかった何とも残念な景色であった。灯台は大きくはないが日本で唯一、菊の御紋のある灯台であった。
このあたりの岬を総称して珠洲岬といい、その中の金剛崎を聖域の岬とよんでいる。パワースポットの案内にひかれ、空中展望台スカイバードという岬に迫り出した観光施設があった。眼下にはよしが浦温泉・ランプの宿が海辺に建っているのが目立っている。せっかくの景色だろうが、あいにくの雨で残念至極という感がした。

見附島(軍艦島)
海岸線を走り、次の目的地である珠洲市の「見附島」、通称「軍艦島」に向かった。雨も本格的になってきた。広々とした駐車場に車を止めるが、雨の平日ということでガラガラ。駐車場から海に向かうと目の前に見附島が見える。引き潮だと島まで行くことができそうだが、雨なのであきらめた。空海が軍艦に見えることから名付けたようである。

高岡市

瑞龍寺・高岡大仏
天気のこともあり、今日の宿泊地である富山県高岡市に向かった。早い時間に高岡市に着いたので、瑞龍寺に向かった。大きく立派な山門は国宝で、仏殿、法堂を回廊が廻らされている。観光客に大きな声で案内をしている僧がいたが、政治問題を口にしていることには違和感を覚えた。次に高岡大仏に向かうが一方通行が多く、なかなか近づくことができない。苦労しながらも大仏の背後に数台停まれる駐車場を見つけた。大仏の下は回廊になっており、ぐるり1周してみた。奈良・鎌倉と合わせて3大大仏のようだが、大きさはずいぶん小ぶりである。

市内の観光を済ませ、早めにホテルに出向いた。部屋も広く快適に過ごせそうだったが、予約を喫煙でとったためタバコの臭いが気になった。外に出たが福井に懲りていたので、大手の「やるき茶屋」に入った。普通の店がきわめて心地よく感じられるのは、よほど福井の店の印象が悪かったのだろう。駅前のドラえもんのモニュメントなどが楽しめた。

翌朝は、高岡市の町並を見学した後、やや離れたところにある勝興寺(写真)に向かった。国府だったこともあり立派な山門や本堂があったが、痛みが激しく工事中であった。それでも本堂に入ることはできた。海の近くの史跡の保護は何かと大変さを感じる。
雨晴海岸に向かい弁慶岩の写真を撮り、最後の見学場所海王丸パークに向かう。海王丸は帆船の練習船だが、着いてみると帆を張っていない。帆を張るのは月に1回程度とのこと。船内を見学し、岐路についた。魚津から北陸道、上越ジャンクションで上信越道、藤岡ジャンクションで関越道に入り明るいうちに帰宅することができた。総距離1500km、平均燃費18Km位だった。