三十三回忌の法要
2021.04.09
 平成元年4月に母が急逝している。先日、少数の近親者で三十三回忌の法要を済ませた。杖に頼る叔父・叔母の姿を目の当たりにしていると、年月の経過とともに今回の法要が弔い上げになるような心持になった。
 母の葬儀に際しては方法や作法などが、近所の家々の連帯で組織されているに委ねられ、喪主である私の意向は反映されることがなかった。生まれ育った土地の文化や慣習に、都会で過ごしていた私の経験値は全く通用せず大きな衝撃を覚えた。母を亡くした悲しみと重なり、40歳間近の私を打ちのめすには十分であった。
 このことが後々までしこりとなり、母の法事には何か心の不安定な自分がいた。今回の法要を済ませ、そのしこりが薄まる日射しのようなものを感じている。過去の辛い心情が解き放たれるような日を迎えるまでには、長い年月が必要なのかもしれない。

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