学徒動員・出陣
2021.08.20
 日中戦争以後、学生・生徒を国内の労働力不足を補うために軍用品や土木作業などに強制的に労働させたことを学徒動員という。昭和13年以降、戦況の悪化につれて動員体制が強化された。
 昭和18年には学生・生徒の徴集延期が停止され、徴兵年齢に達する者の臨時徴兵が行われた。雨の降りしきる神宮外苑競技場(現国立競技場)にて文部省主催の出陣壮行会が行われ、彼らは下級将校として各地へ配属された。多くの青年たちが在学途中の志半ばにして戦地へと赴いた。これが学徒出陣の始まりであった。
 パラリンピックにあたって、コロナ感染症の拡大を防ぐため全種目を無観客開催とした。しかし今、学校観戦と名を変えた令和の学徒動員が行われようとしている。教育委員全4人の声を無視した、大人でも危険な場所に学生・生徒を送りこむ狂気。こう感じるのは私だけだろうか。
吉村昭「死顔」
2021.08.16
 作家・吉村昭については以前に記したことがあるが、表題の「死顔」は彼の遺作になる。死をテーマにした短編集で、氏の実体験にある困難な肺の手術や、兄の死に臨む氏の心情も余すところなく書き表さられている。
 この作品は氏の推敲がなされぬまま出版されているが、後書きは作家である妻の津村節子が最期の時を綴っている。そこには、遺言として氏の死後に際に執り行うことを、死顔を見せる範囲、隠密裏に焼骨し弔問や弔意を辞退する案内の表示などを列挙している。また、すい臓がんで入院中の病院から自宅に戻り、点滴の管を自ら外し、もう死ぬと言って絶命したことも明らかにしている。
 氏の死生観に触れ、自分には難しいだろうが可能な限り近づいてみたいと思っている。時折、そんなことを考える年になってきたが、まだまだ俗念が多く、飲んだくれの戯言にしか聞こえないだろうな。と思う。
あいさつ原稿
2021.08.10
 新年を迎え3学期が始まると、卒業式で何を話すのか考え資料などを揃える。2月中旬くらいには原稿を書き始め、3月に入ったころにはおよその形ができる。卒業式の1週間前には、不適切な表現などのチェックを行い完成原稿に近いものとなり、3日前には副校長にコピーを渡し、校長有事の際に備えておく。前日の夜は原稿の読み込みと音読を繰り返し、言いづらい箇所は文言を入れ替えたりする。当日は発声練習を兼ね、校長室で2回程度の音読を行い、ここでも朱を入れることがある。これが、学校で一番大切な日、卒業式の校長挨拶(式辞)の舞台裏だ。
 一国の首相が、広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式典で原稿を読み飛ばし、批判が相次いだ。その立場にあるものが式典の意味を十分に理解せず、心無いその場しのぎの挨拶という愚行がもたらした結果だといえる。加えて、長崎の式典中継では市長の平和宣言では字幕が流れ、遅刻した首相の時には字幕が消えたという。NHKは広島では流すが長崎では流さないのが常だというが、そこには聴覚障害者に対する配慮は存在しない。ここまで信用されないとは、惨めだ。
コンビニのおにぎり
2021.08.08
 好物とまではいえないが、時折ふと食べてみたいと思う一つにコンビニのおにぎりがある。最初に出会ったときには、乾いた海苔を巻くラッピングの工夫に衝撃を覚えたように記憶している。こんなことを考え、製品化に結び付けていく知恵に感嘆したものだ。
 半年に1度くらいコンビニのおにぎりを食べることがある。旨いというのが第一で、商品の豊富さには目を見張るものがある。南高梅やおかかの味には十分な魅力があるが、海苔の巻き方の容易なものとそうではないものがあり、コンビニ間の差があるようにも感じている。
 おいしいものが簡単に手に入り、独身者が生活していくには十分な供給体制が整っているのが今のコンビニやスーパーかもしれない。カレーパンも食べてみたいと思うが、こちらは条件が整わずなかなか実現していない。
失敗から得るもの
2021.08.04
 不具合が生じていたプリンターと2週間ほど格闘してきたが、策が尽きて廃棄処分することになった。顔料インクの詰まりには、マジックリンが有効だったが印字は改善されなかった。そこで中古のプリントヘッドを3個ほど入手し、丁寧に洗浄して印刷をしてみた。
 印刷結果は今までと同様で、不具合はプリンター本体にあると考えられた。おそらく電子回路のトラブルだと察せられるが、これ以上の格闘はハードルが高く断念した。
 プリントヘッドの洗浄では高度な知識を得、プリンターのエラーコードの解決方法も学習できた。そして何よりも、直そうとする意欲と執念などが健在なことに気づいた。ここまでやって得られたことは、傷口は浅いうちに手当てするに限るということ。
 後継のプリンターは同機種の中古品で、程度が良く問題なく仕事をしてくれる。何かあった時には、問題を先送りせず早めの処置をしたいと思う。

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