オートマ車でのシフトダウン
2022.10.21
 過去には、緑ナンバーの後を走っていれば安全に走行できるという神話があった。私も長距離を走る時は、一定スピードを保って走っている車の後につけることが多かった。しかし、オートマが主流になってきている現在では、緑ナンバーの車でも頻繁に赤色のブレーキランプが点くようになった。
 私は走行中に不用意にブレーキを踏むことはしない。ブレーキを踏むことで前後の慣性バランスが変わり、緊急時の対応に影響すると考えている。
 6速仕様のオートマで富士山の「ふじあざみライン」を下った時には、ギアを2速まで落としたが速度計は90kmに達していた。危険だと感じたのは当然で、フットブレーキも併用した。先日、この道路で観光バスが横転し犠牲者が出た。直感的にブレーキの踏みすぎだと思った。下り坂でエンジンブレーキを使うのは基本中の基本。オートマでもシフトダウンは必須だ。
ことば遊び
2022.10.15
 最近の新聞は広告ばかりが多く、読むところが少ない。コラムと読者の投書、人生相談のタイトル程度は毎日目を通している。2ページ全面の広告には、新聞を止めようかと思わせる不快感がある。
 しかしながら、新聞のコラムを書く方のアンテナの高さや、知見の詰まった引き出しの数の多さに驚嘆することが多い。昨日の朝刊に、絶体絶命の「」を分解して「」と「」にして、いとしき体いとしき命と筆を進めていた。
 安易で軽率な造語があふれる中で、やさしさの情が漂うことば遊びに触れたことは幸せが伴う。そして知の深さは、心の豊かさにつながると再確認できた。
寂しさに思う
2022.10.03
 落語家の円楽さんが亡くなり、翌日にはアントニオ猪木さんも帰らぬ人となった。円楽さんとは同い年で、彼の芸風にも好感を抱いていたので残念至極である。心から冥福を祈ります。
 自分の年齢に近い方が逝去すると、母が亡くなった年齢になったこともあり、自分のこととして考えることが多くなった。我が家が消滅するのも時間の問題で、墓をどうするのかなどなど心配事は尽きない。そして、なるようにしかならないと思うようにしている。
 人間として生物的な死は避けようもないが、人間として豊かに生きられるよう健康や認知機能の低下には気をつけながら生活したい。今年の健康診断では、尿酸値以外は概ね良好だった。
国葬の品格
2022.09.24
 エリザベス女王が96歳で崩御された。粛々と行われた国葬とともに、改めて女王の偉大さに触れる機会にもなった。
 10数年前に、国家の品格とか大人の品格というような、いわゆる品格本が流行した時があった。英王室の国葬と比較することもためらわれるが、わが国で行おうとしている国葬とは格の違いをまざまざと感じた人は多かったように思う。以前に紹介したTBSに勤めている教え子が、弔問の列に20時間並んだと伝えてきたことも懐かしさがあった。
 この時期に、五輪汚職や宗教まみれの政治がクローズアップされていることから、国葬の意義は何かと考えることもある。
点呼
2022.09.10
 小さな子供がバスに取り残され死亡するという悲惨な事件が続いた。なぜだろうと不思議に思うが、子供たちを預かる基本中の基本が身についていない、全くの素人で危機管理ができない無神経な輩ではないだろうか。
 私は管理職が長かったこともあり、遠足などバスや電車で移動する際に降りるのは常に最後だった。生徒が降りたのを確認しバスの最後尾から、座席や網棚に忘れ物がないか、ゴミが散らかっていないか等々点検することが習慣化していた。
 一番緊張するのは海で遠泳に出る時だ。日ごろから点呼を繰り返すことを訓練し、海の中で泳ぎながら点呼をすることも当然のように行っていた。人を預かるということは、命を預かることに他ならない。

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